Column

0.はじめに


ここが単なる情報交換の場ではあって欲しくありません。
皆さんが「思う」「考える」そして「忘れる」場所にしたいからです。
そのための素材を用意しています。
客観的に見てみろ!と言われることもありますよね?
「音を出す」「音楽をする」ということを、
いろいろな角度や立場を変えて見てみるのも
たまには必要でしょう。
「食わず嫌い」と「全くの受身」はやめましょう。

さてさて

「脱力」、なんだかこの言葉よく聞きますよね。
この「脱力」という言葉を使うことがふさわしいでしょうか?
ふつうに全身脱力したら地面に寝転がっているしかない状態ですよね、
歩道で動けなくなった酔っ払いはどうでしょう、
筋弛緩剤を打った場合はどうでしょう、
でも内臓動いてますよね、
呼吸は続いていますよね、
意識ある場合も、
と言うことは、脳自体の脱力は?
しいては耳の脱力は?
脱力を完璧に真似ができたらそれも脱力?
この状態で「音楽」やれる?

「自然体」って言葉のほうがふさわしいか?
なにかとこの「脱力」という言葉、便利です。
使わせていただきますが・・・

「脱力」「自然体」「リラックス」「集中」「緊張感」
どれも大事ってことは、
どれもやってはいけないってことに・・・あ?・・・

次!

「ドラマー」「ドラム教室」の目標と言えば、
「早く」「でかく」「長く」・・・「幅広い音楽性」・・・
それができる人は「すごい」「高レベル」「良い先生」・・・
私もそれを信じて練習していた時期もある。
試しに逆の言葉は、
「遅く」「小さく」「短く」・・・「馬鹿の一つ覚え」・・・
こちらが出来てから言って頂きたいきもするねー。

要は音楽には何の関係も無いんでないかい?

格闘技有段者の話を聞いたことがある。「筋肉では遅い」。
ドラムで言えば「筋肉で動かしたら早い動きはできない、
(音量はスティックの先端のスピードに比例するだけだから)当然音量もパワーも出ない。」
これは当たり前のことで、本当にパワーが欲しければ誰もがこの格闘家のようにすべき。
モーラーやるしかないです。

スティックの折れた数、削れ、ささくれの量はまったくもってパワーに比例してません。
ヒットしてからどれだけ押し付け続けているかどうかです。   

まだ続く・・・

「スキージャンプ」競技ご存知ですよね、
フォームがどんどん変化して今に至ります。
板は「平行」から「逆ハの字」
腕をどこに持ってくるか
「前傾」の角度、
バランスのとり方
どれも間違いではないらしいのだが、
支持者の数で「主流」「反主流」に分けられ、
だいたい記録を伸ばした人のやり方が主流になる。
独自なやり方で変人扱いされていたものが主流になる可能性だってある。

音楽は言語と同じくコミュニケーションのひとつの形態とする。
標識、警笛、信号、サイレン、地鳴り、求愛・・・も同じ、
人または人生の進む方向になにか影響を及ぼしている目印的なものである。

「多数派」「少数派」が必ずできるが、
それは、価値を表すものでは決してない。
「知名度」「豊富な制作費」「権威」・・・
「野鳥の声」と「ベルリンフィル」の価値は比べられないのと同じ。

言論の自由と同じ性格を持つのなら、
何をやっても「自由」である。(はず!)

格闘技、スポーツは「競技」。点数や成績の世界。
これは音楽にはふさわしくない。
「〇〇コンクール」みたいなものはこっちの部類か?

今後は「モーラー奏法」主流になるだろうが、
「モーラー奏法が昔のやり方である。」という時代もその次に来るわけで。
「音量は必要なし!」という時代も必ず来るでしょう。
このまま多様化の世の中になれば、
「ここはモーラーで。」
「ここでのモーラーはありえない。」
というようになるだろう。

こんな時代も予測できる「デスメタルは全員指先で演奏するもの。」

今の世界のモーラー率(なんだそりゃ)
欧米だと半分ぐらい。
韓国は結構いる(太鼓文化の国だから)。
アフリカ100%
日本は少数のみ。
日本の太鼓文化は、見た目も重要で、筋肉の動きを見せることもその一環。
しかし名人と呼ばれる人たちは知っています、
筋肉では太鼓を鳴らせないことを。

「表現」

役者のやっていることを観察するのが一番です、
観察でよいです、分析など必要なし。

悲しい場面があるとする、
それは「悲しくない日常」や「楽しい」という表現もどこかにあるわけで、
それを担う人も必要である。

悲しい曲で演奏者全員が悲しみに耽っているのはかえって変。
一曲のなかで喜怒哀楽が変化する曲もあるでしょう。
「明るい」が実は「からげんき」とか。

感情むき出しでは真意が伝わらないこともあります。

怒っている人は、
怒っていることは良くわかりますが、
何を怒っているのかはわかりません。
一生懸命頑張って演奏している人は
一生懸命頑張っていることは良くわかりますが・・・

現代の「演技法」の考え方です。
良いリラックス、自然体、集中していない集中、が得られれば、
周りがよく聴こえ、見えるということですから、
すべてが日常動作のようであり本能的のように進められます。
何も考えずに演奏が出来ることは確かで、
聴こえたまま振舞っていれば良いという状態。
仕込み、資料収集は最低限で済みます。

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